30年間泣いていた<発達障害雇用なんてない>

発達障害者雇用で就労していた筆者が、発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、自分&他のケース、独り言などをまとめました

<発達障害者雇用で働いていた筆者が、
発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、
自分&他のケース、独り言などをまとめました

軽度含めた発達障害への年金制度拡充署名が集まっています

経過報告です。

 

11月16日現在、648名の方のご署名をいただきました。

引き続きこの活動は続けていきたいと思います。

ご署名に参加していただけた方々に感謝いたします。

 

 

なぜ発達障害へ年金拡充なのか?

 

私個人の考えとして、発達障害は経済格差の問題が引き起こしたものだと考えています。

職人気質の人がとかく生きづらい社会となり、また農業のように専従する仕事、中小企業の領域へ大企業が包囲網を広げてくるなど、個人が企業人として生きる道が狭まっています。

 

昔は個人でできた領域のことも大企業が持って行ってしまうとなると、大企業に入らなくては人は生活ができなくなります。しかし、大企業で必要とされるのは、「コミュニケーション能力に長けている」ということです。

一つのことにこだわりを持ったり、時間の観念が薄い発達障害にとってはとかく生きづらい世の中になってしまいました。

手先が不器用な人や、幼い頃から身についていない煩雑なマニュアルやプロトコル(手順)を覚えるのが苦手な人にとっては、企業人になるというのは非常に難しいことです。

ホワイトカラーで大企業の勤め人にならなければ生活がしづらい。

大企業はおろか、企業面接で必要とされているのが「定型的」なタスクに耐えられる人ばかりで、就職の間口がない。そんな中で、発達障害のように能力に凹凸のある人は、こうした労働体系に耐えることができません。
 

お金がなければ人は生活ができませんし、飯も食えません。

飯が食える大人になること=人生の独立、自立なのに、その経済的な補助がないことは、つまり人間として見捨てられているということです。

コンサータよりも、ストラテラよりも、何よりも、生活できる最低限のお金があれば、障害を障害と苦しむことが少なく我々は生きていけるのではないでしょうか。

 

発達障害のように個性的な性格であれ、芸術家にはそういった何かにすぐれた感覚がある肌の方が多いです。光が気になる、音が気になってしまう、においが気になる、そうしたことが邪魔にならない世界ならば、私たちはここまで苦しむことなく生きていけることができるはずです。

そのためには、生きる場所を選び、生きる道や選択肢がもっと開かれなければいけません。

 

そのために発達障害にはもっと年金拡充が必要なのです。

 

 

現在の障害年金認定のおかしさ

 

現状では、1人で生活ができない程度に何もできなければ、決して認定がおりません。

 

でも、薬によって人よりすぐれた感覚を鈍麻させたり、無駄な医療費を使ってまで企業の求める人になるよりも、私たちは自分たちがもっとも貢献できる分野を探し、そこで静かに生きていくべきだと思います。

その中にはきっと誰も発想しなかったことや発見ができる人、過去の知識の収集を行う人、そうしたクリエイティブな発見ができる人も出てくるでしょう。

できないことをできるようにさせるよりも、できることをとことんできる人に育てた方が国にとっても有用だと思います。

 

その上で、発達障害は「障害」からバリアフリーになるでしょう。

人とうまくコミュニケーションがとれない人でも、人の顔色を伺えない人でも、会社に長く勤めないとやっていけない社会だったら、みんな「発達障害」と認定された時点で生きていくことはできません。

 

社会の10%の人を「障害」と切り捨てるのではなく、より多くの人が生きやすい社会の創造ができるよう、発達障害が障害でなくなるよう、年金拡充を目指していきましょう。

 

 

キャンペーン · 厚生労働省: 軽度含めた発達障害者への障害年金の拡充を! · Change.org

 

 

 

 

 

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